STORY 05
やり切った先に見える
真のつながりとは
「地球人全員と親友なら仕事は楽になる」
株式会社THUNDER
代表取締役CEO
STORY 05
「地球人全員と親友なら仕事は楽になる」
株式会社THUNDER
代表取締役CEO
「結局はしがみつく力。そこからしか関係は始まらない」
そう語るのは、大手企業から外資系コンサルを経て、連続起業家として4社目の起業をする勅使川原氏だ。
彼が強調するのは、相手の懐に飛び込み、プロとしてやりきることで信頼を勝ち取っていくこと。
スマートに人脈を広げるのではなく、目の前の仕事にしがみつき、その先にしか生まれない信頼を築いてきた。
勅使川原氏の人生を動かした出会いと、そこから得た「つながり」の真理を聞いた。
勅使川原氏の原点は、意外なほど冷めていた。
新卒で入社した一社目、当時の彼は「生きていければいい」と、仕事に意義を見出せず、敷かれたレールの上を走ることを疑うこともない青年だった。
京都のオフィスで黙々とデータ分析やプログラミングに明け暮れ、深夜まで働く日々。
そんな彼を揺り動かしたのは、一学年上の先輩だった。
先輩は、新卒の頃から独立心を持ち、既存の枠にとらわれない「自由」を体現する人物。
ある時、勅使川原氏が「趣味がないんです」と漏らすと、彼は一蹴した。
「趣味がない? お前が作ってないだけじゃん。おもんないやつだな。」 という突き放すような言葉。
だが先輩は、そのまま放置はしなかった。
「地球はもっと面白いんだよ」と勅使川原氏を海外などへと連れ出す。
そこで、どんな環境でも一期一会の出会いを楽しみ、自らの意思で逞しく働く人々を目の当たりにした。
「生き方って自由なんだ、と思った。あの言葉や彼との出会いがなければ、今もどこかで腐っていたかもしれない」
現状に甘んじていた胸に刺さった「おもんないやつ」という言葉。
その瞬間、当たり前だと思っていた「既存のキャリア観」が壊れ、彼は日本の中心・東京へと突き動かされた。
東京へ出た彼を待っていたのは、広告業界の「師匠」との出会いだった。
当時の上司・高山氏は、圧倒的なアウトプットへの執念で周囲を凌駕する人物。
「テシ(勅使川原氏の愛称)はあと何時間やるの? 俺はこの時間までやるけど、一生俺には追いつけないね」
そう言い放ち、誰よりも長く現場に立ち続ける師匠に、勅使川原氏は全力でしがみついた。
その上で高山氏は、彼がギリギリ達成できる限界を見極め、絶妙な負荷をかけ続けた。
夜な夜な資料と向き合い、歯を食いしばって、師匠の背中を追い続けた。
「結局、やる人はやりきっている。質を語る前に、まずは圧倒的な壁を乗り越えることが大事だと思いました」
この時期に叩き込まれた「やりきる基準値の高さ」が、後にどんな困難が来ても揺るがない、彼のプロとしての背骨となった。
その後、彼はコンサルティングの世界へと足を踏み入れる。
アクセンチュア時代に経験したのが、ある大手取引先とのプロジェクトだった。
担当した相手はコンサル嫌いで知られ、初対面から眼圧に気圧され、時には厳しい叱咤とともにフィードバックをされる、まさに緊張感に満ちた現場。
だが、勅使川原氏はそこでも逃げなかった。
納得いくまで資料を練り直し、翌朝には「別のパターンも用意しました」と食らいつく。
その泥臭い執念が、いつしか「そこまでやるか」という信頼に変わった。
「誰も寄り付かないような厳しい相手でも、寄り添ってやり切れば気に入られるんです」
プロジェクトが終わり、その担当者が別の企業へ移籍した後も、指名で仕事が舞い込む。
しがみついた先にしか生まれない「戦友」のような関係があることを、彼は現場で身をもって知った。
勅使川原氏の凄みは、こうした修羅場を共にした人々との縁が、10年、20年経った今も「生きている」ことにある。
かつて自分を「おもんないやつ」と一喝した新卒時代の先輩とは、今も連絡を取り合う仲だ。未だに会えば「お前、ちゃんとやってんのか」と発破をかけられる人生のメンターだ。
また、広告代理店時代の高山氏との縁は「大学の非常勤講師」という想定外のキャリアを運んできた。
高山氏が教授を務める大学で、勅使川原氏も教鞭を執ることになったのだ。
「あの時しがみついてやり切ったからこそ、数年経っても『あいつなら』と声をかけてもらえる。
今の仕事の幅は、すべて過去の泥臭いつながりの延長線上にあります」
かつての師匠や厳しい取引先が、今では対等なビジネスパートナーや顧問、あるいは人生のメンターとして、彼の多角的な活動を支えている。
数々の現場をくぐり抜けてきた勅使川原氏だが、今、ある思いを抱いている。
「もっと早い段階から、同世代の『横のつながり』を広げておけばよかった、とは思いますね。当時は目の前の師匠やクライアントとの関係に必死でしたが、今振り返れば、もっと仲間を増やしておくべきだったなと」
それは、単なる人脈作りへの後悔ではない。
「仕事をもっと円滑に進めるための合理的な戦略」としての気づきだ。
「40代になると、当時の同世代は各社の決裁者や業界でも著名な専門家になっていたりします。もし若い頃から彼らとつながっていれば、もっと早く、もっと簡単に解決できた課題もあったはず。自分の脳みそだけで戦うのではなく、仲間の脳みそを借りる。地球人全員と親友なら、仕事なんて電話一本で終わることも多い。そう考えると、もっと早くから外に目を向けてもよかったなと感じます」
この気づきがあるからこそ、今の彼はつながりを維持・発展させるために、「ギブの先にギブ」を徹底している。
「信頼残高を貯めるといいますが、僕は『3つお世話をして、ようやく1つお願いができる』くらいの感覚です。相手の困りごとを先に聞き出し、頼まれる前に解決策を提示する。その積み重ねだけが、本当の意味でのコネクションを作ります」
形式的に連絡を取り続けるのではなく、相手にとってメリットのある存在であり続けること。
そのためには、自分自身を常にアップデートし続けなければならない。
人との出会いは、自分の能力を拡張するための最大の武器だ。
かつて「おもんないやつ」と言われた青年は、多くの師匠や取引先に鍛えられ、今では多くの人々をつなぐ中心地にいる。
自分を磨き、泥臭くしがみつき、そして見返りを求めず与え続けること。
「結局、やる人はやりきっている。そして、やり切った先にしか、本物の関係は築けない」。
勅使川原氏の歩んできた道は、この力強い「人とのつながり」の重要性を教えてくれた。
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結局、やる人は量をやっている、というのを突きつけられた話の連続だった。
小手先のつながり術を知る前に、まずはプロとして信頼されるまで「やりきること」に向き合う。
その先にしか、本物の関係は築けないのかもしれない。![]()