STORY 01
唯一無二のキャリアを
手繰り寄せる思考
成長スタートアップから
日本政府
元メルカリ
Head of Data Analyst
(現:デジタル庁CxO)
STORY 01
成長スタートアップから
日本政府
元メルカリ
Head of Data Analyst
(現:デジタル庁CxO)
「この機会を断ったら、似たようなチャンスはもう二度と来ないだろう。そう思えるような唯一無二の機会だけに賭けるようにしています。」
そう語るのは、樫田光氏。メルカリのデータチームの責任者などを経て、デジタル庁CxO(Chief Analytics Officer)として日本政府内で働き、2025年には「Japan Dashboard」というプロジェクトを公開している。
現在のデジタル庁へと至るまで、様々なキャリアの転換点を経験してきた。
樫田氏が徹底しているのは、目の前の選択肢の「唯一無二性」を見極める視点である。
なぜ彼は、人生の転換点で常に他人とは違う希少なキャリアを掴み取ることができるのか。その意思決定の裏側を見ていく。
樫田氏のキャリアを振り返ると、そこには「自分で狙って掴んだ」というよりは、人との縁が数珠つなぎのように広がり、キャリアが形作られてきた。
最初の転換点は、20代、新卒で入った外資系の戦略コンサル会社を辞めた後だった。
「新卒の就活の時に出会ったある知人がいました。ある会社のグループ面接の同じテーブルで、一人だけ『こいつはめちゃくちゃ面白い』というやつがいたんです。相手も僕のことを意識していて、帰りがけに声を掛けたら、住んでる場所もたまたま徒歩5分の近所だった。笑 お互い違う会社に入りましたが、親しくしていました。」
新卒社会人数年を経て、その彼が「自分で会社を作ったから参加しないか」と声を掛けて来たとき、直感的に樫田氏はその誘いに乗ることにした。
「世の中に外資コンサルのキャリアはいくらでもあるけれど、20代で友人と起業する機会なんて、今この話を断ったらもう二度と来るイメージがなかった。これは替えの効かない話だな、と思い、将来性などは深く考えずに飛び込みました。」
この時から「唯一無二の機会」という判断軸を意識するようになったという。この友人との起業は数年で幕を閉じるが、そこでの新たな出会いは樫田氏への次のチャンスを開いた。
この仕事の中で出会ったのが、当時NTTドコモに在籍していた石黒氏だった。ドコモの新規プロジェクトのカウンターパートとして共に働き、後に石黒氏がメルカリにHRとして転職した際に樫田氏を誘うことになる。
石黒氏から、「メルカリでデータチームを強化したい。興味はないか」と声がかかったときは、驚いたが、当時は転職の意向が全く無く、すぐには返事を出来なかった。
「お誘いいただいたものの、しばらくは返事を保留していました。しかし、客観的に考えてみれば、この機会を逃せばメルカリほどの勢いのあるスタートアップは、この先そうそう出てこないだろうと思いました。これは人生の中でもかなり希少な唯一無二のチャンスだな、と気づきました。」
その思考に至ってからは、メルカリへの参画に迷いはなかったという。
そうして2016年に入社したメルカリだったが、当時、データ分析チームには明確な役割が定まっておらず、決まった仕事もなかった。そこで、彼は自ら仕事を作り出すために動いた。
「まず、データ分析に興味を持ってくれる同志を見つけようと思いました。ただ、別部署の人とのつながり方がわからなかったので、社内ドキュメントをひたすら読んで、自身でデータ分析をしているプロダクトマネージャーを発見しました。彼が出社する早朝に合わせてオフィスに行き、偶然を装って話しかけました。そうして関係性を作りながら、徐々に頼まれていないアウトプットを勝手に作って見せていった。そこから、自分たちのチームの仕事を創造していきました。」
与えられるのを待つのではなく、価値を先に差し出す。自身のアウトプットを社内・外に発信することに誰よりも努め、数多くのドキュメントや資料をまとめ、誰でも見える形で残した。 そうして、社内でのポジションを作っていくとともに、アウトプットを見た社内のメンバーからのコンタクトやつながりがどんどんと増えていった。
上場前後の激動の4年を経て2020年にメルカリを離れたが、在籍時に出来たつながりが、次のターニングポイントにも関係している。同僚だった親しいデザイナーがメルカリを離れ、立ち上げ間もないデジタル庁に参画し、挑戦するのを横目で見ていた。そんな中、デジタル庁は樫田氏の専門であるデータ分野の人材募集を始める。
始めは他人事のように見ていたが、ここでも再び“唯一無二性”という判断軸が働く。
「政府の新しい省庁の立ち上げ期に入るなんて、間違いなく人生でもう二度とやってこない。そして30代後半という自分の年齢も重要でした。20代の若手の時期にその機会が来てもやれることはなかっただろうし、50代だったら挑戦する馬力が足りなかったかも知れない。今、このタイミングでデジタル庁に入るという選択肢は間違いなく自分のキャリアにおいて唯一無二の機会だと確信したんです。そして、この仕事を誰かがやるのであれば、自分がやるのが一番良いのでは、と自身に言い聞かせました。」
記憶に深く残っているのは、デジタル庁への参画の是非を相談する中で、前述のデザイナーから届いた一通のメッセージだという。
「国のダッシュボードを作りませんか?」
国のダッシュボードーー途方も無い話で、その実現の方法も全くわからなかったが、とりあえずは庁内でつながりをつくり味方を集めることから始めた。
メルカリの時と同じく、文章を読むことが新たな関係性につながった。デジタル政府について現役官僚が書いた本を読み漁り、行政の仕組みを学ぶ中でたまたまその著者が現在はデジタル庁にいることがわかった。
庁内のSlackを検索して飛び込みでメッセージを送る。そこから付き合いが始まり、別のキーパーソンを紹介してもらい、人脈を広げていった。そのうちの一人とのつながりが、後に「Japan Dashboard」の実現に大きく関わったという。多くのつながりと調整の中でまさに「国のダッシュボード」と呼ぶべき成果を実現した。
人とのつながりからチャンスを掴んでいるように見える樫田氏だが、他者と関係性を築くために意識して行動していることはあるのだろうか。
「僕はどちらかといえば知らない人と話すのは不得意な方で、立食パーティーで名刺交換するとかはかなり苦手です。自分が何をギブできるかわからない状態で、人とつながることに遠慮を感じてしまうので」
そんな彼が武器にするのは「発信」だという。確かにXやnoteを始め、 Podcast, Speakerdeck, Substackなど、外部への情報発信の量は多い。
これは、自身の考えを事前に外に開いておくためだという。
「自分の考えを外に置いておけば、それに反応したくれた相手は僕に興味を持ってくれていることがわかる。その状態なら、社交が苦手な僕でも関係性を築くためのフックを作りやすい。一時期note社のアドバイザーを務めていたのも、最近知り合った哲学者(堀越耀介氏)と新しくPodcastを始めたのも、実はnoteでの発信したコンテンツからつながることで始まっています。」
自分が何者で、何ができるかを先にギブしておく。
そうすれば、同じ趣味嗜好や関心を持つ人が向こうから寄ってくる。
無理に広げる人脈ではなく、アウトプットの先に生まれる、文脈でつながる関係性。それが彼のスタイルだ。
多様なキャリアを経て40代になった樫田氏が、いまだからこそ重視している価値観は何だろうか。
「敢えて言うならば『移動の“不”自由』でしょうか。移動の自由は自身の人生をコントロールするための手段が開かれているという意味で、近代の思想的にも非常に重要ですが、その権利を行使しすぎていると得られないものもある。僕をはじめ、多くの人はある場所で負荷が課されると、真っ先にそこから逃げることを考えてしまうと思いますが、一定以上の期間をコミットする『定住』の覚悟の上でしか手に入らないもの、そこからのみ生まるつながりがあると思います。結婚などもそうですし、学ぶことや仕事もその最たるものです。デジタル庁の仕事も困難は多いですが、入る前から絶対にこれだけは続けると心に決めている最低期間があります。これは合理ではなく決めの問題です。」
直近は経済学に興味があったが、その興味から逃げ出さない「移動の不自由」を決めるため、この春からは働きながら大学院(経済学修士)に通うことにしたという。それもまた、発信を通じて知り合った人々との関係から生まれた決断だと語ってくれた。
自ら発信し、誰かとつながり、そこで深く根を張る。
その繰り返しが、彼をまた新しい「唯一無二な場所」へと連れて行く。
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人付き合いが苦手だからこそ、自分から名刺を配る代わりに、まずはアウトプットを差し出す。そしてそれが面白いと思ってくれた人とだけつながっていく。だからこそ、「替えのきかない」機会が舞い込んでくるのかもしれない。
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